小説『ハサミ男』ネタバレ解説考察|巧妙なミスリードと結末の衝撃

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殊能将之さんの『ハサミ男』は、ミステリー小説の中でも特に叙述トリックが巧みに仕掛けられた一作として知られています。
その独特なタイトルと不穏な空気感は、多くの読者に強烈な印象を与えてきました。

本作は、連続殺人犯「ハサミ男」の視点と捜査に当たる警察の視点が交互に展開される構造が特徴的で、
物語が進むにつれて先入観を覆す驚きの展開が待ち受けていました。

本記事では、この『ハサミ男』の物語に施された仕掛けを中心に、ネタバレを交えながら掘り下げていきます。

ご注意:
この記事は作品の詳細な内容を含んでおり、重要なプロットのポイントや物語の結末について言及しています。未読の方はくれぐれもご注意ください。

小説『ハサミ男』登場人物

  • 安永 知夏 (やすなが ちか)
    1. アルバイト生活を送る26歳女性。正社員になる意欲はなく、自由な暮らしを選んでいる。ショートヘアが似合う端正な顔立ち、ふっくらした頬や優しげな目元、整った口元が特徴的で、周囲から美人と評されることも多い。とはいえ、自身は体型を「でぶ」と卑下する傾向がある。理論的思考に優れるもう一人の人格「医師」が内在している。自殺未遂を繰り返すという暗い習慣を持ち、心に抱える闇が深い。

  • 日高 光一 (ひだか こういち)
    1. 年齢は26歳だが、後退した生え際と太った体型のため、実年齢よりも老けて見える。体重は90キロを超えるような運動とは無縁そうな大柄な体つきで、気弱な性格がにじむか細い声が特徴である。衣服は量販店で購入したような安価なものを身に着け、住まいは散らかり気味ながら、どこか几帳面さも感じられる。ハイテク機器をたくさん所有しており、コンピューター関連には強いようである。

  • 磯部 龍彦 (いそべ たつひこ)
    1. 27歳の刑事で警察官になって4年目の若手。目黒西署刑事課に所属しており、事件の捜査において特別に堀之内の下で働くことになった。整った逆三角形の顔立ちと真ん中分けの髪型が特徴的で、容姿は二枚目と言える。まだ経験が浅く、死体に対して動揺を隠せないなど頼りない部分もあるが性格は基本真面目で、捜査の中で先輩や上司に頼るなど成長の余地を感じさせる。

  • 堀之内 靖治 (ほりのうち やすはる)
    1. 40歳手前のキャリア組で、科学捜査研究所に所属する犯罪心理分析官。樽宮由希子の事件発生後、目黒西署に出向してきた。階級は警視正であり、警視庁内ではエリートとされる人物だが、その雰囲気はむしろ親しみやすく、大学講師のようにも見える。丸みを帯びた顔には常に温和な笑みが浮かび、整髪料を使わずに洗いざらしの髪を真ん中分けにしているという飾らない外見が特徴的である。物語の重要な局面において、冷静な観察力と心理分析のスキルを発揮(?)する。

  • 樽宮 由紀子 (たるみや ゆきこ)
    1. 私立葉桜学園高等学校に通う高校2年生。背中まで伸びたつややかな黒髪と165センチほどの身長が特徴的な女子生徒である。鋭角的な顎、濃い眉、わずかにつり上がった目を持つ顔立ちは猫のような印象を与える。両親の離婚後、母親に育てられたが、再婚によって弟ができ、新たな家庭が築かれた。多くの男性と関係を持っていたが、背景にはその複雑な家庭環境が影を落としていたようだ。ハサミ男の模倣犯によって命を奪われ、遺体は公園の茂みで発見された。

樽宮由紀子殺害事件の概要

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物語の主要な事件として描かれていたのは、3人目の被害者となった樽宮由紀子の殺害についてです。警察の視点と、連続殺人犯「ハサミ男」である「わたし」の視点が交互に語られる構成です。

「ハサミ男」はこれまでに小西美菜と松原雅世という二人を殺害しており、次の標的として樽宮由紀子に目をつけます。
ターゲットを選ぶ際には、氷室川出版の通信教育に関する記録を利用し、優れた知性を持つ中高生の少女たちを見つけ出していました。
樽宮由紀子に対しても、通学路や自宅周辺を含む徹底的な調査を行い、計画を進めていたのです。

しかし、平成15年11月11日、事件は予期せぬ方向に進みます。「ハサミ男」である「わたし」が樽宮由紀子の自宅近くの鷹番西公園で遺体を発見。

首にはビニール紐が食い込み、絞殺の痕跡が明らかで、彼女の喉元にはハサミが深々と刺さっていました。
このハサミは報道で「ハサミ男」の象徴として知られていたものでしたが、殺害したのは「わたし」ではありませんでした。

ハサミ男が狙っていた樽宮由紀子が、ハサミ男を模倣した誰かに殺され、それをハサミ男が発見するというカオスな状況となりました。

ハサミ男を装ったエリート警視正の凶行

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樽宮由紀子を殺害したのは、科学捜査研究所の警視正で犯罪心理分析官の堀之内靖治です。

彼は樽宮由紀子と美術館で出会い、関係を深めました。
やがて樽宮由紀子から妊娠を告げられた堀之内は、別居中の妻との離婚を決意し、警察を辞めてでも新しい生活を始める覚悟を固めます。

しかし樽宮由紀子の妊娠は嘘で、「あなたと結婚するつもりはない」と冷たく告げ、堀之内の真剣な想いを踏みにじりました。これにより愛情は憎しみに変わり、堀之内は殺意を抱くに至りました。

堀之内はハサミ男を装って樽宮由紀子を殺害しますが、その後、自らの犯行が次第に露見していきます。
日高光一の家で彼が殺害され、さらには安永知夏への暴行を試みる場面を磯部に目撃されてしまい、堀之内は全ての罪を告白した上で、自ら銃で命を絶ちました。

実際には日高光一を殺害したのは当のハサミ男である安永知夏であり、この点について堀之内は誤解されたままでした。

事件の公式見解では、日高光一がハサミ男である可能性についても確定的な結論には至らず、安永知夏が本物のハサミ男であることも判明しないまま終わりました。

巧妙に仕組まれた読者の先入観操作

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本作の最大の仕掛けは、叙述トリックを用いた読者への大胆な認識操作です。ハサミ男の正体は安永知夏という女性。物語中、ハサミ男の視点で語られていた「わたし」はこいつです。

この「わたし」が実は安永知夏という女性であることが物語終盤で明かされ、大きな衝撃を与えることとなります。それまでの描写では「わたし」が男性であると錯覚させる言葉遣いや行動が意図的に組み込まれており、これにより強烈なミスリードが成立しています。

例えば樽宮由紀子の遺体発見時の描写では、遺体の発見者として日高光一という男性が隣に立つ姿が描かれ、実は明確に書かれてはいないのですが「第一発見者」のように描かれています。

そして警察の現場調査の時にベンチに座ってなだめられていた女性が安永知夏で、この女性が遺体発見時に後からか細い声で声をかけた人物であるような錯覚を覚えます。

この段階で読者は「ハサミ男=日高光一」という印象を持ちますが、実際には安永知夏がハサミ男であり、視点の主として存在していたのです。「わたし」の男性的な話し方や、行動の客観的な説明が読者の先入観を補強し、真相から目を逸らさせる要因になっています。

物語終盤、安永知夏の名前が初めて明確に登場する場面では、彼女の存在そのものが読者にとっての「急展開」として作用します。この段階まで「ハサミ男=男性」という認識が植え付けられているため、突然現れる彼女の正体に大きな驚きを覚える構造です。

こうしたミスリードの積み重ねにより、物語は読者を巧みに誘導しつつ、最後の瞬間で全てを覆す大胆な展開を作り上げています。

■一人称と通称
ハサミ男の一人称は「わたし」ですが、これなら男性でも違和感はありません。喋り方も男っぽく、さらには安永知夏と日高光一は年齢も26歳と同じです。

ハサミ男という名前自体もミスリードの強力な要素でした。「男」という語が含まれることで、読者は犯人が男性であると無意識に想定します。
さらに被害者が若い女性ばかりであることからも、一般的な「男性犯罪者」のイメージが強化されています。タイトルからして騙しにきていますね。

安永知夏の妄想人格である医師は、自身のことを「ぼく」と呼んでいます。最近はボクっ娘なんかも増えてきたかもしれませんが、やはり基本的には男性が使う一人称。
これも地味にハサミ男が男性という印象操作に一役買っていた気もします。

樽宮由紀子の母親であるとし恵との会話では、この医師が表に出てきて普通に「ぼく」と言っていますが、態度の変化を少し訝しむような感じなだけで、深くは突っ込んではいいません。
ただ、セリフではとし恵に対してそもそも「わたし」という言葉を使っておらず、最初から「ぼく」が一人称の人なんだと思われたのかもしれませんね。

なお、被害者に性的暴行はおろか着衣の乱れもなく、女性の体に全く興味がないような状況は、ハサミ男=女性 のヒントではありました。

■体型などの外見
「わたし」(安永知夏)は自分のことをでぶと評し、頬はぷっくり膨らんでいると描写されています。
一方で日高光一についても、磯部など警察からは「色白の太った青年」や「頬が丸みを帯びている」などと似たような表現をされていて、この共通点から無意識に二人を重ね合わせるよう誘導されます。

安永知夏は色んな人から「美人」とか「きれい」言われています。多少ぽっちゃりしているとしても、磯部の視点で二人を評した場合、似たような表現には恐らくならないでしょう。
視点を変えることで矛盾を作らずに似たような表現を使い、うまくミスリードに繋げていました。

外見に関するところでいえば、「わたし」が樽宮由紀子について「わたしから見ても美人だと思えるくらい」と評しているのは、「わたし」が女性であるという比較的わかりやすいヒント。

美人とたくさん付き合ってきたモテ男が言うならまだわかるが、日高の人物像からはとてもそうとは思えません。
やはり「(女性の)わたしから見ても・・・」とするのが一番自然。

■服装について
「わたし」は基本的にスニーカーを履いていることが描かれています。一方で、日高光一の家の土間にもスニーカーがありました。
他の人間も結構スニーカーを履いているので大したものではないですが、一応ミスリードではあります。

また樽宮由紀子の遺体発見時、「わたし」がジャケットを着ている描写がありますがが、日高については磯部の視点で「ダウン・ジャケット」を着ていると描写されています。
この違いは微妙ながら、視点の違いによる表現のブレと解釈できるため、大きな違和感には至りません。

煙草のヤニの濃縮液を飲んで自殺を図り、吐瀉物がパジャマの胸元まで濡らしたという場面では、ベッドから起き上がって汚れたパジャマと下着を捨てています。

胸元まで濡らした状態で下着が汚れるのであれば、それはブラジャー。
あるいは立ち上がったときに垂れてパンツが汚れたとも考えられますが、文面をそのまま捉えればこれはブラジャーを指している可能性が高いです。

また、「わたし」が朝起きたときにパジャマの上からカーディガンを羽織り、トーストを作る描写はやや女性らしさを感じさせる場面です。
この描写自体は性別を限定するものではありませんが、読者に微妙な疑念を抱かせる仕掛けの一部と言えるでしょう。

■物語の構造やシチュエーション
樽宮由紀子の告別式のシーンは、「わたし」と磯部達警察の視点で日高の行動が別々に描写されています。

「わたし」は開式ぎりぎりに会場に到着し、受付を済ませて一般会葬者席に向かう途中で、石畳のそばに立つ磯部と村木を目撃しています。警察視点では、日高も受付後に石畳を通り、磯部たちを一瞥しています。

その他にも二人ともあたりを見回していたりとほぼ同じような行動を取っており、別人であると知らなければまあ気がつきません。

二人の事情聴取シーンも同様に似たような行動をとっているように描かれています。

「わたし」は古い建築物に住んでおり、警察に喫茶店の窓際で話を聞かれる描写があります。一方、日高は汚れたアパートに住み、警察の会話から喫茶店の窓際や公園のベンチで事情聴取を受けていたことが示唆されています。
二人とも、質問に対して動揺を見せるシーンが重なるなど、やはりここでも共通点が多いです。

■その他
樽宮由紀子の下調べをしていた「わたし」は、10月17日にハンバーガー店に入店しています。一方で、物語中盤では日高が10月中頃に同じハンバーガー店で目撃されたという情報が警察から提示されます。

この描写でも「わたし」と日高が同一人物であるか、密接に関連していると錯覚させられます。

しかし実際にはこの目撃証言の正体は堀之内靖治でした。
警察は堀之内を疑っていましたが、彼にその事実を気取られないよう、あえて日高が目撃されたという設定に切り替えて調査を進めていたのです。

この事実が明らかになるのは物語の最終盤であり、それまでの間、日高が「わたし」の行動を補完する役割を担うような構図が形成されています。

小説『ハサミ男』ネタバレ感想、その他考察疑問点など

最初は「わたし」が普通に樽宮由紀子を殺すものと思っていたましたが模倣犯ときました。
読者としては模倣犯であることが分かっていて、ハサミ男自身がハサミ男の犯行としか思えないと言っているので、やはり詳しい情報を持っている警察関係者が第一候補。

ということで樽宮由紀子の殺害犯については堀之内も怪しい人物の一人として見ていましたが、やはり完璧に見破ることはできませんでしたね。

一応叙述トリックの存在は予め知っていたので、「わたし」の名前が出てこない理由についても何かの仕掛けだろうと感じていました。
が、こちらも完全に見破ったとはさすがに言い難く、なるほど感を含んだ驚きは感じることができました。

ただ負け惜しみを言わせてもらえれば、アンフェアとまでは思わないものの、いくつか気になる点もありました。

例えば樽宮由紀子の告別式で安永知夏と日高光一がほぼ同じ行動をしていたにもかかわらず、お互いに気づかなかった点。
状況を考えれば注意深い安永知夏が特徴的な日高に気づく可能性は高そうですが、その描写がなかったのは不自然・・かなーと思いました。

日高が安永宅に突撃してした時、遺体発見時以来のような雰囲気でしたし、告別式では両方とも気付かなかったということなんでしょうね。

日高にしても読経中にあたりを見回していたのは安永知夏だった?
樽宮由紀子と名前を出しても「誰のことだ」と言っていましたし、告別式に行ったのも別に目的があった可能性が高く、それが安永知夏だったのかもしれない。
公園であった時からずっと気になっていたというから多分そうなんじゃないかと思います。

いずれにしても告別式でどちらかでも相手に気づいていたなら、その後の展開にも影響を与えるところではあるので、状況的に相手に気づく確率が高そうなこの場面が普通に何事もなく過ぎっていったのは気になる点。

警察の事情聴取のシーンでは「おふらんど」の店主に話を聞いた様子はありませんでした。
店主が「わたし」を覚えていないわけはなく、もし店主に話を聞いていてそこが描写されていれば、
「わたし」と日高が別人ということが明白になってしまうのでこのような流れになったんだと思いますが、物語内で印象的な存在でもある「おふらんど」の名前を出しながら、結局スルーするような形になったのはややご都合感を感じましたね。

それに加えて、読者目線での見た目や年齢、行動があまりにも似すぎている安永知夏と日高の設定も、「ここまで揃えてきたか」という意図が見えすぎてしまい、若干引っかかりました。

とまあこんなことを言ってはいますが、十分に楽しめたのも事実。個人的には面白い作品の一つとして印象に残りました。

『チーム・バチスタの栄光』 – 海堂尊

心療内科医と省庁官僚、対照的な二人が挑む難事件。海堂尊氏のリアルな医療描写と、濃密なサスペンスが交錯する圧巻のストーリー。第4回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した名作。



『ロスト・ケア』 – 葉真中顕

葉真中顕氏が描き出すこの物語は、介護問題という現代社会が直面する重厚なテーマを中心に展開します。人間の尊厳や善悪の境界線を巧みに揺さぶりながら、読者を引き込むその筆致は圧巻。全選考委員が絶賛した受賞作でもあり、社会派ミステリーの真髄を体感できる一冊です。個々の人生が交差する中で、どのような決断が最善なのかを問いかけるこの物語は、心を深く揺さぶります。



『オリンピックの身代金』 – 奥田英朗

奥田英朗作品の中でも高い評価を受ける社会派ミステリー。昭和の息吹が色濃く漂う中、国家の威信と個人の信念が交錯する。深いテーマ性と緻密な構成が、多くの読者を魅了する一作。

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